吃音を受け入れた自分と悩んでいた時期の自分 - HAPPY FOX

吃音を受け入れた自分と悩んでいた時期の自分

  1. 吃音の体験談
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吃音に悩んでいる方なら「吃らないようにするには?」「少しでもスラスラした話し方をしなければ!」と1度は考えたことがあると思います。 しかし、そんなことを一生考え続けながら生きるのは辛いですよね。 私もそうでした。そんな私が「吃音があっても気にしない」状態で生活できている今、 これまでに気がついた考え方をお伝えしていきたいと思います。 吃音で悩んでいる方にとって1つの参考になれば幸いです。

そもそも克服とは?克服するとどうなる?

そもそも克服とは?克服するとどうなる?

そもそも「克服」とはなんでしょうか?

吃音は薬や治療などで根本的に治癒できない病気です。

そのため「克服」とは治った状態ではありません。

しかし、克服することによって人生において様々なメリットがあると考えています。

少なくとも「吃音のせいにする」ということがなくなるはずです。

結論、私が思う克服とは「吃音があっても、気にすることなく生活できている状態」だと思います。

例えば、気にすることなく好きな仕事で活躍していたり、パートナーと楽しい家庭を築いていたり、吃音を恨むことなく今生きていて「幸せだ」と感じたりすることなのではないでしょうか。

吃音を完全にないものにはできませんが「吃音?あるけどそれがなに?」状態になることが克服しているということだと捉えています。

自信をつけるための努力と環境の選択

自信をつけるための努力

私は今では「吃音?あるけどそれがなに?」状態ですが、そのきっかけは1つに絞れません。

おそらく小さな努力の積み重ねが、そうさせたのだと考えています。

「吃音」が不利にならないフィールドを選択して自分には「吃音」で阻まれるもの以外に、沢山可能性があると無意識に信じていました。

自信がつくように努力したり、時には戦うフィールドを変えたりしました。

さらに、戦うフィールドを変えた先でも1番になるようにまた努力を重ねてきました。

それを繰り返すうちに、いつの間にか吃音を持っていても居心地がいい、認めてもらえる環境に囲まれて、悩まない現在があるのではないかと思います。

吃音で悩んでいた頃の自分を振り返って伝えたいこと

吃音で悩んでいた頃の自分を振り返って伝えたいこと

吃音について悩んでいた時期は、とにかく話す時に吃らないようにすることばかりに意識が向いていました。

人と話していても、言いたい言葉があるのに、吃らないように別の言葉に言い換えをして、結局話の流れがおかしくなってしまうこともありました。

その結果、何が言いたいのかが曖昧になってしまい、支離滅裂になってしまうことも…。

さらに、相手の話よりも自分のコンディションの方に意識が向いてしまって、きちんと相手に向き合うことができていなかったこともありました。

そんな経験を通して学んだことがあります。

それは、話し方よりも「何を伝えたいのか」が重要だということです。

たとえ話し方がたどたどしくても、相手は話している内容が気になっていて「この人はどんなことを伝えたいのだろう」と考えてくれていると思うようにしました。

一方、吃音を誤魔化してスラスラ話せたところで、話の内容が支離滅裂だったり、人間性が破綻している人の話だとしたら人は離れていくでしょう。

結果的に「話し方よりも、話の内容をちゃんと聞いてくれる人と付き合えるようになる」ということもあると思います。

話し方をバカにしたり、人間性を見てくれない人を選別するフィルターになるので、周りにはいい人ばかりが集まる効果があります。

また「吃音?あるけどそれがなに?」状態は、他のコンプレックスにも当てはまると思います。

吃音以外にも個人差はあれど、苦しんでいる部分はあるでしょう。

その中で自分の状態を受け入れてあげて、そこにフィットする環境と人を自分から選んでいくということが重要なのではないでしょうか。

miho

吃音歴30年。転勤族の夫と2児の母。
大手小売→人材会社で店長や営業企画などを経験。
現在はフリーランスでオンライン秘書とディレクターとして業務を行いつつ、NPO法人日本吃音協会(SCW)でも活動中。

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